看護の資格があれば生きていけるこの時代に私は働き方を広げるのです

 

こんにちは、フリーランス看護師のユナです。

私はいよいよ明日から看護師とベンチャー、ダンサーの新しい働き方が始まります。

8月末で病院を退職してから新しい働き方を追い求めるために4ヶ月間、自分のフィールドを変えて猛スピードで行動しました。

今日はなぜ私が看護師+αの働き方をするのか、今までの人生で過去〜現在で人生を変えるような「ターニングポイント」「こういう経験が今に生きているな」などを振り返りながらブログを書こうと思います。

看護師を目指したきっかけ

ハートの贈り物

私は物心がついた時から「自分は看護師になる」と思っていた。
看護師になりたいと思っていたわけじゃなく、なると思っていた。そんな感覚。

変な話だが、迷うことなく看護の道へ。

受験の「どうして看護師になったの?」お決まりの質問には、「幼少期を病院で過ごしていたので家族よりも看護師が身近な存在だったから」と理由を後付けして話していた。

 

しかし、大学生の時に看護師への想いが強まる1つの出来事が起こる。

 

■父の死

確かあれは急性期看護の実習中。

父の秘書から「今すぐ病院に来てください」と電話があり、母と向かうと

医師は慣れた口調で淡々とこう告げた。

 

お父さんの命は長くて1ヶ月、もって数週間、もしかしたら明日かもしれない

覚悟をしてください

 

突然の余命宣告でした。

肺癌からの脳転移が20個。
頭の中がたくさんの癌で蝕まれている状態で病院に行った時にはもう手遅れ。

受け入れるまで時間が必要でした。
でも余命1ヶ月の父を目の前に、そんな時間はありませんでした。

お見舞いに行くたびに日に日に弱っていく父。


1人でご飯を食べられなくなり
歩けなくなり
オムツ姿になり
記憶がなくなっていく。

「父親」という強いイメージが目の前で崩れていく。


そんな父の姿を見るのが辛かった。

「父がいなくなる」という現実から目を背けたかった。


でも私は看護を、医療を勉強している。
将来は看護師になる。

 

悲しむのは父が亡くなってからで良い。

 

私がやるべきことは父が「父らしい死を迎えられるよう全力を注ぐこと」そう決心し、父と母と「父の残された命」に真っ向から向き合いました。

「ありがとう」で父の最期を締めくくれたのは幸せなこと。

父の看取りという「人生で1番辛かった経験」と「人生で1番幸せだった経験」は看護師としての強みになると思い、終末期ケアに進むことを決意。消化器外科に配属希望しました。

 

看護師を挫折する

幼い頃からの夢を叶えて看護師になり、絶対にここで働きたい!と願った病院から内定をもらい、無事に第一希望に配属。

思うままの、順調な駆け出し。

働いてからも「辞めたい」と思った事は1度もなく、家族や周りの友達に「看護師は私の天職なの!」と話してました。

その理由として

・自分の好きなことが人のためになっているという感覚があった
・楽しい>辛い
・看護師という仕事・自分を誇りに思っていた

 

師長や先輩たちからは「あなたはいつも楽しそうに仕事しているから大丈夫ね」とノーマークで、新人の頃から同期の相談役でした。

そんな私が突然、病棟から姿を消すことに。

 

■メンタル、あいつはいきなりくる

病棟が業務に支障がでるレベルのスタッフ不足になり、違法なシフトをこなすようになった3年目。

・体の不調が現れたけど「大丈夫」
・髪が抜け始めたけど「今が踏ん張り時」
・眠れないけど「なんとかなる」

だって看護師は大変なのが当たり前、みんな大変なんだから。

こんな風に自分の声を無視し続けた結果、管理職の心無い一言でポッキリと心が折れました。

 

病院に行こうとすると体が拒否反応を起こしてしまう。
看護が好きなのに、看護師は天職だったはずなのに。

 

違法なシフト、パワハラで身体と心を壊したので、
退職理由には「過労により(病名)を発症したため」と書いたけれど
一身上の都合」と呆気なく訂正され、逃げるように病院を去った。

 

看護師は無知すぎる

作業をする看護師

辞めたあと一般企業の人に
なんで管理職と戦わなかったの?こう聞かれた。

戦うという発想がなかった。逃げるので精一杯だった。

 

看護師って現状を変える気もないくせにSNSで愚痴るよね」こう言われた。

悔しいけれど、事実だと思う。

なぜだろう?こう考えた時に、原因は
看護の世界しか知らないこと」だった。

 

看護師は情報弱者だ。

 

■看護界のあるある

「実習中は寝られない」
「お局看護師の新人潰しは当たり前」
「新人は残業代は出ない」
「休みの日は勉強会」
「私が新人の時は吐きながら病院に行ってたよーと言う先輩談」
「適応障害or鬱病になって辞める」

看護師とはそういうものだ」これ自体が自分たちを苦しめている。

 

「医療者はあえて1度医療から離れるべきだと思います。
医療者は医療しか知りません。
学生の時から医療を叩き込まれて、臨床では医療のみに一生懸命打ち込む。
そして医療の常識があたかも世間の常識だと勘違いしています。」

いつも間にか医療者は自分自身を「医療」で洗脳しています

 

この恩師の言葉に、ハッと気付かされたのを覚えている。
看護の世界を変えるには、狭い世界にいてはダメだと。

私は医療の歪みと小ささを知るために、看護師の働き方を変えるために、看護師以外の自分の可能性やスキルを身に付けるため働き方を広げる決意をしました。

なぜフリーランスなのか

学生時代から心の奥にしまっていたこと。

実際に病院時代の私は看護の国家資格に使い潰されていた。
人生の9割が看護師で休日は身体を休めるために使うように。

最後の方は、健康を害して働いて得たお金を自分の治療費で使い、自分の人生に疑問しか感じなかった。

 

恐らく死んだ目で働いていた

 

私の人生って、楽しく働いて、もっと踊って、好きな時に海外に行って、親を旅行に連れて行って、会いたい人に会いたい時に会って、愛する人と海が見える生活をしたい。

色んな夢があるのに。

 

せっかく資格をもっているのに、資格に潰されたら元も子もない。

 

こうして自由に仕事を選択できるフリーランスを目指しました。

ただフリーランス看護師のキャリアモデルみたいなものがないので怖いんですよね。

みんながやっていればやりたくなるのが日本人の性質。
私が率先して働き方を広げることで「こんな看護師もいるんだ」「これなら私もできそう」と後を追って国家資格をうまく使ってくれる人が増えるといいなと思っています。

看護が好きなのに看護師を続けられない人が1人でも減るように。

それでも看護師を続ける理由

外の世界に行きたいなら、看護師の肩書きは捨てればいいじゃん。
そう思う人もいると思う。

看護師の国家資格は「最強」だと思う。
確かに母数は多いし、難易度がそう高い資格ではない。

でもね。

いつでも働けて、旦那さんが転勤になっても、国内ならどこでも働けて、海外に行っても場所によっては日本の国家資格が使える。

しかもほどほどに稼げる。
こんな良い資格、そう多くはないと思う。

私はこの資格を育てたい。

次は国家資格に使われるんじゃなくて、使うんです。主導権は私。

父の看取りを経て終末期に進むと決めた私ですが、実際に病院で働いてみて

「もっと健康に気を使えばよかった」
「こうなるってもっと前にわかっていたら・・・

こう後悔する人があまりに多すぎました。

「病気になる人を減らしたい」
「病院に来る前に私にできることがある」

この想いが強くなりました。


大切な人を今度は手遅れになる前に
守りたいんです。

そして自分自身の健康を守りたいんです。人を救うために。

なので次は「予防医学」の分野で看護師のスキルアップをしようと思ってます。

終わりに

こんな感じで私はまだ手探り状態ですがいつかプレイヤーではなく監督側になりたいです。


狭い世界で苦しんでいる子達に「こんな働き方があるよ」と幅広い仕事を選ばせてあげたい。

「看護師しかできない」そう思っている子に可能性を与えたい。

私を救ってくれた恩師のように、若手看護師や学生を私の言葉で、私の行動で誰かのきっかけになる日を夢見て頑張ります。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

4 件のコメント

  • 希望職種に就職!現状に幻滅!挫折!次は離職と来るのが一般的、なのに、発想の転換で復活!さらなる飛躍へ!
    拝読しただけでも励みになりました!

    • 高橋さん、いつもTwitterの方でも励ましのコメント有難うございます。「次は転職と来るのが一般的なのに、発想の転換で復活!」これ素敵ですね。使います!

  • 読んで素敵なだなと思いました。私自身介護士をやっていたので少しわかります。今は、介護士をやめて看護師の資格が欲しく看護学校に入るための勉強をしています。頑張ってくださいというのは好きではないのでお互い頑張りましょう!あっおんなじか。

    • ぐでたま娘さん、コメントありがとうございます。私も頑張ってくださいっていうのが苦手で「楽しむ」に置き換えてます。看護学校の勉強楽しんでください!私も楽しむぞーーー!

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